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お久しぶりです

2011.08.03 12:16|petit chateau
皆さま、お元気ですか?

前回の記事では「しばらくお休みします」と記載したことで、
ご心配いただいた方々もいて、本当に申し訳ありませんでした。

ブログはいいとして、メールを見られない日が続くのであのような記載となりました。

24日23時過ぎに祖母が亡くなり、数分後に両親から連絡が入り、
布団に入っていた夫に報告、帰省などの打ち合わせをし、
家を出るまでの時間がそうないことを認識してからは
「私にできること」をいつもの100倍くらいのフル回転で脳みそを働かせ・・・

ドタバタの準備で帰省。

と言ってもしばらく家を空けるのは主婦にとっては大変なこと。
冷蔵庫の整理、洗濯物をすべて洗って干し、ゴミをまとめて・・・

実家に着いたのは25日午後1時過ぎ。
ごめんね、おばあちゃん、すっかり遅くなっちゃった。


24日の9時くらいだったか、母と話した時には
「すでに心電図が弱くなっているからこの1,2日ということ覚悟しておいて」
といことだったので、私はできればもう一度祖母と会いたくて、できれば見送ってあげたくて、
25日中に帰るつもりでした。
それは叶わずとっても残念だったけど、でも祖母は両親に看取られて亡くなったとのこと。
病院から連絡があって駆け付ける両親をちゃんと待っていたと。

それは、律儀な祖母の、
これまで介護を続けてきた両親への最大の感謝の気持ちだったのではないでしょうか。

どこまでも立派です、貴女は。


祖母の家のお座敷に布団が敷かれ、祖母が横たわっていました。
白いハンカチの下には目を閉じた安らかな祖母の顔がありました。
入院中外していた「歯」を入れて、若返っていました。
どんな時も凜としていた祖母らしい、目も口もしっかり閉じた明治女の顔でした。

祖母と両親・兄・私、昔の私の家族だけで少し語らい。祖父の遺影が微笑む中で。

それから、葬儀社の方が来られて祖母の旅立ちの支度。
叔母も加わり5人で祖母の支度を手伝いました。

「私にできること」の一つ、「お化粧」

眉、頬紅、口紅をほんのり。

そしたら本当に祖母はただ眠っているような、そんな寝顔に見えてきた。
おばあちゃん、綺麗だよ。

棺に入れるのもみんなで。
棺に入れてからも白装束はまるで十二単衣のように重ねられていきます。
すっかりやせ細っていた祖母がふくよかに丸みを帯びました。

祖母が大好きだった庭を通って、出発。


それが15時か16時だったかな。通夜まで時間はあまりない。
家の中を探す。
「お母さ~ん!おじいちゃんおばあちゃんの昔の写真どこやった~?!」
『知らんよ~!』
「確かに私はお母さんの部屋で見たことあるっちゃけん!」
『そがん言われてもお母さん知ら~ん』

自力で探す。。祖母の家の2階やらうちの2階やらあっちゃこっちゃ。
(結局母の部屋で見つかった!!)

そんなどったんばったんで出来上がったもの・・・

DSC_1782.jpg

数年前、モノクロの大量の写真を祖父母の家の二階で見つけた時、
私の知らないこの家の歴史に触れられて、ちょっと感動したのを覚えている。
そしてこの写真たちはずっとここに眠っていて、そしてこれからも・・・
そう思うと切なくなった。
写真は昭和のものばかりだけどそれでもとても貴重な物のように思えた。

祖母の葬儀に、祖母を偲んでいただくには最高の写真たちではないか。
そしてこの機を逃すとこの写真たちはまた眠りについてしまう・・・

大量の写真の中から厳選し、そしてここ10年くらいの(私の画像データに入っていた分)写真を周囲に。
とにかく時間がなかったので手書きだしマスキングテープでペタペタ貼っていっただけ。

私も身支度を済ませて斎場へ。
斎場の方が私のボートを見るや、さっそく「メモリアルコーナー」をロビーに作って下さった。
DSC_1785.jpg
ご近所の方が祖母を偲んで短歌を五句読んで下さったもの、百歳の賞状も。

祖母は当時にしてはとても珍しく、今で言う大学まで行った人です。
東京の今の日本女子体育大学で学び、教師になりました。
だから、この姿。
DSC_1803.jpg
ナギナタ五段。テニスも。祖母は真ん中、キャプテンだったのかな。

昭和初期は朝鮮で6年半を教師として過ごしました。
今の北朝鮮にあたるところだそうです。

結婚してからは祖父の政治家人生に身をささげ、
選挙や付き合いで湯水のように出て行くお金を内職をしながらやりくりしていたようです。
40年間という今では考えられない期間、民生委員を務め、社会福祉向上に尽力。
低所得者、母子家庭などの支援に従事し(ボランティア)、
一時小城町は生活保護世帯が2世帯となったそうです。
2世帯・・・それも今では考えられないことでしょうね。
また、当時施設に入所していた3人の女の子を9年間にわたって里子として受け入れ、
高校進学の夢(当時は中卒も多かった)の手助けをし、
3人とも公務員や看護師として立派に社会に旅立ちました。

DSC_1805.jpg 

出棺前の祖母とのお別れの際、ボードの中から祖父祖母二人のいい笑顔の写真を一枚棺の中へ入れました。

これが「私にできること」。

おばあちゃん、喜んでくれたかな?
そうだと信じて。

おばあちゃん、102歳8カ月の人生、お疲れさまでした。
ありがとうございました。

+++

さて、小野田に戻りひと段落したのでこれからまたいつもの私に戻ろうと思います。

長文にお付き合いいただき、ありがとうございました!
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コメント

お疲れさまです。

おばあさまの歴史。
語り尽くせないほどでしょうね。
ただ記事を読ませてもらっただけですが、感動です!!

暑い毎日ですね。

お婆様、大往生ですね。

私もお婆様のような日本の女性として年を重ねられたらなぁ、なんて大それたことを思いながら読ませてもらいました。

暑い毎日ですが、少し休んで、のんびり過ごして下さいね♪

ゆめさん♪

ただいまです~
今回両親や親せきと改めて祖父母との思い出を聞いていたらビックリ仰天、いえ、驚愕な事実も出てきました。今度聞いて下さい・・・m--mさすがにblogには書けないことなもので^^;
改めて偉大な祖父母だったのだと亡くなってからでは遅いけど心から尊敬しています。
実家で張り切ってたからか只今低迷中ですT0T暑さもあるんでしょうね。身体がバテバテです。でもどうにかこうにか夏を乗り切りたいものです^^v

福岡のYさん♪

ありがとうございますm--m
Yさんは祖母の記事にもよくコメントを寄せてくださってましたよね☆ありがとうございました!
本人は認知症ではなく脳はしっかり働いていたので、目を開けられなくなったりどうにも身体が動かないことを暗闇の中でとても不安に感じていたのかもしれません。やっと楽になれたのかなぁと寂しさの中にもホッとしています。
ゆめさんやYさんにコメントいただいたことでも私はここに綴らせてもらってよかったなぁと思えていますm^^m私も凜とした女性でありたいと思います。
もうしばらく祖母絡みのネタを書こうと思っていますのでまたお付き合いください^^*
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